パニック発作がやってきた⑱

パニック発作がやってきた⑱

パニック障害を発症した当初のお話です。

シリーズもので少しずつ記事を増やしていこうと思います。

パニック障害になってしまった人間の1例としてご覧ください。

最初から読まれる方はこちら

前回記事はこちら

僕には当時、1人の上司との付き合い方について悩んでいた。

ここではその方をAさんとする。

僕の会社は転勤が多い。

僕もこれまで数回転勤をしたが、その内の半数以上でAさんと同じ場所になった。

僕が最初に配属された際にも同じ職場で面倒もよく見てもらっていた。

お互いの家がそれなりに近い事もあり、仕事上での付き合いは良好だった。

そのAさんとの付き合い方について、悩んでいたわけだ。

先輩後輩であり、上司と部下。

僕が入社した当時Aさんは主任クラスで現在は管理職。

現場の所長をやっている。

僕もようやく肩書きが付き、多くの後輩を指導する立場になっていた。

良く仕事の話もしたし、多くの事も教わってきた。

正直仕事上の関係だけで言えば互いに信頼する部分も多いと思う。

だが、僕はそんなAさんとの付き合い方に過度のストレスを感じるようになった。

その状況を5年間程継続したことが、僕のパニック障害発症の大きな理由になってしまった。

少し古い話を思い出しながらになるが、心療内科で先生に話した内容を

ここでも少ししようと思う。

少し遡るが、2011年3月11日、東日本大震災が起きた後のこと。

地震発生から数日に渡って公共機関のマヒによって自家用車を使う人が増え

ガソリンが入手しにくい事態が続いた。

僕は車通勤をしていたため公共機関がストップしていても通勤できたのだが

車で片道30キロの距離があったためガソリンが入手できないと通勤が困難になる。

可能ならばガソリンの供給が安定するまでは節約して乗ろうと思っていた。

そんな折、Aさんから数日の間、互いの車を出し合ってガソリンを節約しようと相談された。

僕は2つ返事で了承した。

当時、僕の家よりもAさんの家の方が会社には少し遠く、

僕の家からは5キロ程度、会社までは35キロ程度あったが

車を出す側が互いの家まで迎えに行くという形で数日を過ごした。

別に僕の方が距離が長いとか思うところは無く、こんな非常事態だから協力して

乗り越えよう、そんな心意気だった。

数日して、ガソリンの供給が十分な状態に戻ったため

また個々の通勤に戻そうかと思った矢先Aさんが言った。

「ゆうまる、すまないんだが車が壊れてしまったから、直るまでの間車出してくれないか?」

僕は、困ったときはお互い様だからと、Aさんの送り迎えをするようになった。

そんなことが2週間ほど続いた。

2週間?長くないかと?と思う方もいるかもしれない。

僕も正直、1週間程経った辺りで

「さすがに時間かかり過ぎじゃないか?」と思っていた。

しかし、毎日のようにAさんは「また明日も頼む」と言ってきた。

車の故障程度にもよるが、そもそもこれだけ長く掛るのなら

代車の1つもあっておかしくない。

それが1週間ではなく2週間を過ぎようとしていた。

僕はこの間、毎朝普段より早く準備してAさんを迎えに行って

帰りは家を通り越してAさんを送り届けていた。

少し馬鹿馬鹿しく感じていたが普段世話になっているところも多いし

これこそ持ちつ持たれつだなと思うところあれど我慢をしていた。

そして2週間が過ぎたころ、さすがにおかしいとAさんに聞いてみる。

「もう2週間くらいたってますけど、車いつもどってくるんですか?」

この質問に対する応答から、Aさんへの不信感を募らせることになる。

読んでいただきありがとうございました。

次回はパニック発作がやってきた⑲です。